大阪家庭裁判所 昭和51年(少)1975号 決定 1976年4月12日
少年 Y・O(昭三六・七・七生)
主文
少年を教護院に送致する。
理由
(虞犯事由)
少年は、当時中学二年生であつた昭和五一年二月五日ころから同年三月一六日ころまでの間において、学校にはほとんど登校しないうえ、自宅に居つかず家出放浪を反復し、更にその間、恐喝、ボンド吸入を各数回行なつたもので、このまま放置すると、その性格、環境に照して、将来、罪を犯し、又は刑罰法令に触れる行為をする虞があるものである。
(適用法条)
少年法三条一項三号イ、ロ、ニ
(教護院送致の理由)
少年は、昭和四九年七月(当時中学一年生)ころから夜遊び、家出を始め、同五一年二月の保護観察処分までの間にも、家出放浪を繰り返すと共に、その間にボンド・シンナーの吸入にふけり、また恐喝などの非行もあつた。右期間中、少年は何度か補導されて家に連れ戻され、また、同五〇年四月には叔母方に一時預けられたりもしたが、いずれにも定着しなかつた。
少年をこのような非行に走らせた原因は種々あるであろうが、年令的にも情緒不安定な少年をその実兄(一八歳)に任せて少年と別居生活を送つている母親の少年に対する理解力不足と、継父(母親の内縁の夫)と少年との極端な不和が、その大きな一因となつていることは否めず、したがつて、少年をこのままの状態で母親ないし継父の手にゆだねることは、少年の前途にとつて決して最上の途ではないと思われる。
また、少年は知能が低く(新制田中B式知能検査(第一形式)によれば、知能指数は七九)、性格の面でも問題となる点もあり、その上、少年の周囲には、これを保護育成すべき適当な者がいないこと(母親と継父については前述のとおり、少年の実兄は若年であり、そのような役割を課するのは酷であると思われる。)を考慮すると、この際、少年に安らぎの場を与えて基本的な社会生活を身につけさせ、更に少年の能力に相応する範囲で、その社会生活に必要な基礎的学力を養う必要がある。
以上を総合すると、少年を教護院に収容して、その愛情と教護によつて少年の健全な育成を期するのが相当と思料される。
よつて、少年法二四条一項二号により、主文のとおり決定する。
(裁判官 湯川哲嗣)